あるホワイトデーの風景 <公園のオブジェ前にて>




 指定された場所は、公園のオブジェの前だった。

 複数あるオブジェのうち、どこへ向かえばよいか迷っていると、私を呼ぶ声が聴こえた。
 声のする方を向くと、呼び出した張本人である加地葵くんが、こちらに駆け寄ってきた。


「こんにちは、さん」


 こんにちは。お久しぶりだね。
 そう彼に言うと、返事の代わりに満面の笑みを見せてくれた。
 いつも思うけど、彼はホントにうれしそうに笑うよなぁ。
 それに、かなりの距離を走って来ただろうに、彼の息はあまり弾んでいなかった。
 う〜ん、若いっていいなぁ……って、しみじみ思ってどうする。

 気を取り直して、彼に本来の目的を聞いてみようかな。
 今日はどうしたの? 連絡くれるなんて珍しいね。


「うん、今日は君に、僕からの贈り物を受け取ってほしいんだ」


 え? 贈り物?
 驚いて彼を見るけど、鞄はおろか、手にも何も持ってないよ、ね?

 不思議そうに見つめてるのに気づいて、彼はいつもの笑いを浮かべた。
 そして、つい…と私の目の前に手を差し出した。


「さあ、僕と一緒に来て」


 え? 何、この手。手をつなげってこと?
 いや、それは……。

 躊躇する間もなく、私の手は彼に取られて。
 そのままなぜか、駅前通りまで手をつないで歩く羽目になった。


 駅前通りの中程にある高級そうなお店に着くと、彼は当然のように入口の扉を開けた。
 中に入れってこと……よね。
 促された私はとりあえず店の中に。

 店員さんは私の後ろから入って来た彼を見て、笑顔で挨拶してきた。
 雰囲気からして、彼は店員さんと顔見知りだわ……。


「それじゃ、彼女をお願いします」

「はい、お任せください」


 え? 私?
 驚いて彼と店員さんを交互に見ると、ふたりともすっごい笑顔。

 私、これから何されるんだろう?
 何か、嫌な汗が出てきた……。



 ― 数十分後 ―



 ……この展開を、どう突っ込めばよいのかなぁ?

 彼から店員さんにバトンタッチされた私は、複数の店員さんたちに用意された服に着替えさせられ、服に合う靴・小物・ヘアメイクを施された。

 淡い碧色のシフォンのマーメイドラインのドレスに、それよりちょっと濃い色の七分袖のショート丈のジャケット。
 ドレスとほぼ同色のハイヒールに、アクセントとしておそろいのパールのネックレスとブレスレット。
 エクステを付けられた髪は全体にアップされて、サイドの少量の髪の束だけくるくるとローラーで巻かれて。
 某ゲームのライバルのようだ、なんて考えが浮かんだ私は、実際、自身の変化にすごく照れていたのだと思う。


 気がつくと、カジュアルな格好が一変、ドレッシーな装いに変化していた。


「うわ……」


 鏡の前で不思議そうに自分の格好を見ていた私は、すぐ側に彼が来ていたことに気がつかなかった。
 彼も普段着からグレーのタキシードに着替えていて、馴染んだように着こなしているその姿に、不覚にも見惚れてしまった。

 でも彼は、私を見るなり開口一番にそう言ったまま、固まったように動かなくなった。

 どうしたの? あ、もしかして、あまりの化け様にびっくりした?
 それとも……私らしくないかな、やっぱり。

 ちょっとはきれいになったかな、なんて思ったんだけど……うぬぼれだったかな。


さんはいつも素敵だけれど、ここまで美しくなってしまうと思わなかったから、驚いちゃって……」


 え、ええと……。
 そう満面の笑みでそんな言葉を言われましても、照れるだけなんですけど。


「それでは行きましょうか。僕の大切な人」


 だから、素でそういうこと言わないでってば!
 きっと真っ赤になっているだろう顔で訴えても、彼にとっては笑い事でしかなくて。

 結局そのまま、彼の腕に手を添えて歩くこととなるのだった。
 ハイヒールは歩きづらい……。



 それからは、とても目まぐるしく時間が過ぎた。



 メインイベントまで時間があるから、と、これまた高そうなイタリアンのお店に連れて行ってくれて、早めの夕飯を食べた。
 最初は緊張していたけど、出てくる料理がどれもとても美味しくて、デザートまできれいにいただいてしまった。
 やっぱり私は、色気よりも食い気、らしい。

 その後、お店に横付けされたタクシーに乗って、着いた先はコンサートホール。
 そこで初めて、今日のメインイベントはコンサート観賞であることを知った。
 しかもこのコンサート、すっごい人気でチケットは数分で完売したっていう、あの有名な楽団じゃない!

 ほ、本当にいいの? 私なんかが行ってもいいのかな?


「何言ってるの。僕は君に聴いて欲しいから、君と聴きたいから、ここに連れて来たんだよ?」


 うわうわうわ! ありがとう! ホントにありがとう!
 すっごくすっごくうれしい!

 すっかり舞い上がって喜んでいる私は、彼の顔が幸せそうな優しい笑顔になっていたことには気づかなくて。


 コンサートは感動で涙が止まらないほど、私のあらゆる感覚をしびれさせた。
 クラシックは当然のこと、他にも映画音楽だったり、人気歌手のポピュラーソングをクラシカルにアレンジしたり、
 某漫画のようなコミカルな演奏もあれば、ソリストでも活躍しているヴァイオリン奏者のソロ演奏があったり、
 楽団とお客さんのコール&レスポンス的な試みもあって、最初から最後まで心から楽しめるコンサートだった。


 コンサートが終わってからも私は興奮が冷めなくて、クールダウンのために、コンサートホールから大通りまで歩いていくことにした。


 加地くん、今日は本当にありがとう。
 すっごく楽しかった! 何度お礼を言っても足りないよ。


「お礼なんていらないよ。コンサートは、ホワイトデーのお返しなんだから」


 そう言って、彼は笑って自分の耳を指す。
 そこには、私がひと月前にあげた、彼の誕生石のピアスが輝いていた。
 付けてくれてるんだね、ありがとう。
 でも、これがお返しなんて、すごくもらい過ぎな気がする。


「君の手作りのチョコマフィンに比べたら、こんなのお返しに入らないよ」


 私、そんな大層なものをあげてないんだけどな。
 でも、彼の想いはとてもうれしいから、素直に受け取っておこう。
 ありがとう。

 さて、と。興奮も冷めたことだし、これを着替えたお店で服に着替えて、帰ろ……。


 ……んっ!?


 『帰ろう』と言おうとした私の口は、彼の人差し指に止められた。
 突然のことに、彼をじっと見つめるしかない。


「まだ……帰さないよ、さん」


 同じように私を見つめる彼の眼差しは、真剣だった。
 いつもの『ふふっ』という柔らかな笑みはどこにもなく、ただじっと、私を見つめていた。
 彼を見つめる私が、彼の瞳に映る。


 彼が初めて呼んだ私の名に、心も身体も縫い止められて。





 私はそのまま、彼の腕の中に捕われてしまった。