あるホワイトデーの風景 <星奏学院 正門前にて> 指定された場所は、星奏学院の正門前だった。 今日が学年末試験の最終日だからか、校舎からは普通科と音楽科の生徒が次々と帰路についている。 その中、正門前へとたどり着くと、ちょうど校舎から見覚えのある人物が歩いてきた。 私をこの場所へ呼び出した張本人である、土浦梁太郎くんだった。 彼は私に気づいたようで、笑みを浮かべながら近づいてきた。 「よお、。早かったな」 そう? そんなことないと思うけど。 素直にそう答えると、彼は、お前らしい答えだな、と笑った。 ……私らしいってなんだよ、と思ったことは、ここではとりあえず伏せておく。 それで、用は何ですか? 唐突に用件に入る私に、彼は苦笑い。 「お前……会ってすぐにそれかよ」 だって、私を呼び出したってことは、何か用事があってのことでしょ? それを知りたいって思うのは、当たり前だと思うよ。 「まあ、確かにそうだが……こう、いきなり、ってのはな……」 あれ? いつものつっちーにしては歯切れが悪い答え方だね。 「そ、そうか……って、お前、つっちーはやめろ」 あ、気づいちゃった? さりげなく呼んだつもりだったのに。 「思いっきり分かるっての。じゃ、行くか」 行くって、どこへ? 「俺んち」 つっち……、って呼ぼうとしたら、思いっきり睨まれた。 いいじゃん、愛称で呼んだって。愛情の証だよ? 「俺にしてみれば、ただの嫌がらせにしか聞こえねぇんだよ」 あら、つれないお返事だこと。 軽口叩きすぎると本当に機嫌が悪くなるから、これくらいで抑えておこう。 で、話を戻すけど、どうしてこれから土浦くんの家へ行くことになるのかな? 「それはまあ……来てみりゃ分かるさ」 ??? 話が見えないんだけど……。 次の問いを口にする前にどんどん先へ歩いて行っちゃうから、タイミングを逃した。 ちょっとちょっと、私よりもコンパスが長いんだから、そうスタスタ歩かれると追いつけないって! 土浦くんの家へ向かっている間も、彼はいつもよりも口数が少なかった。 一体、彼の家では何が待っているんだろう……? 何か、期待よりも不安の方が勝ってきてるのが怖いよ……。 土浦くんの家へ着いてから、現時点で家に居るのは彼ひとりであることに、今更ながら気づいた。 ここへ来る途中にも、彼からは、父と姉は会社、母は離れでピアノ教室、弟は学校、と聞いていたのに。 ひとり焦っている私が通されたのは、土浦家のキッチンだった。 意外な場所に、緊張は安易にどこかへ吹っ飛んだ。 着替えてくる、と、土浦くんは階段を上がっていった。たぶん、自室が2階にあるのだろう。 とりあえず、彼が戻ってくるまでおとなしく座っていようかな。 おそらく食卓だろう場所に座り、キョロキョロと周りを見渡していると、足音が近づいていた。 トレーナーにジーンズというラフな普段着の彼は、きっちりと着込んでいる制服と違った印象だった。 何か……普通の男の子、って感じ。 当たり前なんだけど、何か……意識、してしまう、っていうか。 「なにぼーっとしてんだよ」 しまった、ぼーっと見惚れ……いやいやいやいやいやいやいや。 頭に浮かんだセリフを慌てて打ち消し、あいまいな笑みを浮かべた。 頼む、この状況を見逃して次へ行ってくれ。 私の願いが通じたのか、土浦くんは眉間にしわを寄せていぶかしげに首をかしげただけだった。 そしてすぐに、キッチンへと入ると何かを出し始めた。 彼の動作を目で追う。 冷蔵庫から何かを取り出すと、座っている私の目の前に、四角い大きな箱を差し出した。 「ほら、受け取れ」 条件反射で受け取って、彼を見上げる。 彼は目で「開けてみろ」と言っているようで、そのまま受け取った品をテーブルに置く。 閉まっていた場所と形からして、中はケーキのようなんだけど。 箱を開けると、予想通りケーキが入って……え? これってケーキ? オレンジ色の丸い筒状のスポンジに、生クリームのデコレーションが施されている。 形からして、これはシフォンケーキだ。 オレンジ色のシフォンケーキなんて、私、初めて見た。 そうつぶやくと、土浦くんは、してやったり顔で私を見た。 「面白いだろ? これ、ニンジンのシフォンケーキなんだぜ」 ニンジン!? このオレンジ、ニンジンの色なんだ。 ……土浦くん、これ、もしかしなくても手作り? 「おう」 自慢げに誇らしげに胸を張る彼が可愛く思えて、自然と顔がほころんだ。 ほ〜、すごいな〜、手作りか〜。 土浦くんはホント、料理上手だよね。 そこで、はたと気づく。 ええと……これってもしかして……ホワイトデーのお返し、ってことで、いいのかな? 「ああ。そのために昨日、作っておいたんだ」 照れているのか、ポリポリと鼻の頭を掻く土浦くん。 うん、うれしい。 お返しをくれるのも、しかも手作りのお菓子をくれるのも、もちろんうれしい。 しかも、私、ニンジン好きだけどさ、大好きだけどさ。 珍しいニンジンのシフォンケーキを作っていただけて、ひじょーにうれしいけどさ。 何で、ホワイトデーにニンジンケーキなの? 「……お前、ニンジンを好む動物を挙げてみろよ」 え? 唐突な質問だな。 う〜んと……馬? 「そんなワイルドな動物じゃなくて、もっと小型で……いるだろ?」 小型でニンジン好きな動物? ニンジンが好きな小動物……。 あ、ウサギ? 「正解」 にやっと笑う土浦くん。 ……で、そのニンジン好きなウサギさんと、このお返しのニンジンケーキ、どんなつながりがあるの? もっともな質問に、土浦くんは一瞬、言葉に詰まった。 そして、一度大きく息を吐き出してから、ゆっくりと話し始めた。 「ウサギってさ……さびしいと死んじまうって言われてるだろ?」 うん、そう言われてるみたいだね。 「だから……お前がさびしいと思ったら、いつでも俺を呼べよ、ってこと」 ………………は? 「たっぷり間を空けた後に、んな間抜けなツラと声はやめろ……ってか、やっぱガラじゃねえか」 や……あの、さ、土浦くん。めちゃくちゃ分かりづらいよ、それ。 「あ〜、俺に文学的才能を求めるな」 すでに着地点が違うし。 でも、土浦くんがそんなあっま〜いセリフを言ってくれるなんて……ホワイトデーの奇跡だ。 「勝手に奇跡にすんな。……俺だって、言うときは言うんだよ」 ふふっ、照れてる照れてる。 でも……ありがとね、土浦くん。 すっごくうれしいよ。 「ああ。俺も……に喜んでもらえて、作った甲斐があった」 …………っ!!!!! 突然の名前呼びと、その、誰も見たことがないような、はにかんだうれしそうな笑顔! そんなの反則ですよ、つっちー……。 お互いに顔赤くなっちゃって、お互いに照れまくっちゃって。 ギクシャクしながらもいただいたニンジンのシフォンケーキはとっても美味しくって。 やっぱり、私はこの人が。 向かい側で微笑んでいる、土浦くんが大好きなんだな、って。 改めて、認識したりして。 照れ隠しのためにまくまくとひたすらケーキを食べていたら、ふと、土浦くんが私を見て笑った。 「、お前、口にクリームついてる」 えっ? うそ、どこどこ? 左右の口元を指で拭ったら、右の口元に生クリームがついていた。 うわ〜、私、お子ちゃまみたい。 教えてくれてありがとね。 ええと、ティッシュもらえるかな? 椅子から立ち上がってきょろきょろとティッシュの置き場所を探していると、不意に左手を取られた。 何だろう、と自分の左手を見ると、なぜか指先は、土浦くんの口元に。 そのまま指先のクリームを舐められて。 ……本日2回目のドッキリ発生。 ちょっ……つ、土浦くん? ナニヲシテイルノカナ? 何か、暖房が点いているんじゃないか、ってくらい、全身から汗が噴きだしている感じがする。 そんな私の反応に、土浦くんは面白そうに笑って。 「生クリーム、ちょっと甘かったか? ……もう少し、じっくりと味わってみるか」 土浦くんの笑みが、いつものスポーツマン風の爽やかな笑顔から、見たこともないドキリとするそれに変わって。 取られたままの左手は、身体ごと彼のほうへと引き寄せられて。 そして、そのまま 口元のクリームの残りに、彼の唇が降ってきた。 |