あるホワイトデーの風景 <駅前通りからバスで> 指定された場所は、バスで向かうところだった。 駅前通りから目的地行きのバスに乗り込む。 平日の昼間だからか、同乗している人たちはまばらだ。 しかも、乗り込んだのは住宅地や商業団地へは行かない、ある意味特殊な方面へのバス。 乗客が少ないのは仕方ないのかもしれない。 海沿いを走るバスの窓から外を眺めているうちに、気づくと、乗客は私だけになっていた。 しばらくして、バスは終点に到着した。 到着した目的地、それは、アミューズメントパークに隣接した、水族館だった。 まばらにいる人たちの流れに乗って入場ゲートへ向かう。 ゲートの入口には、私をここへ呼び出した張本人である月森蓮くんがすでに到着していた。 黒いタートルネックのインナーにベージュのジャケット。インナーと同色のチノパンと靴。 見かけるのはいつも制服姿だったから、私服姿の彼はとても新鮮で。 でも、その反面……彼はひとりの『男性』なんだ、ってことを意識してしまい、なぜか心が落ち着かない。 月森くんも、私とは違う意味でそわそわしているようで、何度となく腕時計を見ている。 ひとりで心許ないのかな? 彼へと近づく中で、ふと、視線が合わさったような気がした。 まだ距離があったので、気づいてるよ、という合図として、軽く手を振る。 すると彼は、目を細めて、ほっと安堵の表情を浮かべた。 普段のクールで仏頂面な彼からは想像つかない表情に、なぜか、うれしくなった。 だって、それだけ私に心を許してくれてるみたいだから。 「来てくれてありがとう、。突然呼び出してすまなかった」 声が聞こえる距離まで近づいたかと思ったら、彼は開口一番にそう言った。 ううん、全然。逆に楽しみだったよ。 月森くんからのお誘いは初めてだからね。 私の言葉に安心したか、月森くんは再び、目を細めて微笑んだ。 ……クールビューティーは、クールが抜けてもビューティーは残るんだね。 ワケの分からない結論をつけて、私は彼と同じく微笑んだ。 それで、ここで待ち合わせってことは、入るんだよね、水族館に。 じゃあ、入場券を買わないと……。 「いや、その必要はない」 券売所に向かう私の足を止め、月森くんはジャケットのポケットからチケットを2枚取り出し、1枚を私に差し出した。 受け取ると、そればアミューズメントパークと水族館の両方で使える1日フリーパスだった。 えっ? これは? 「君と一緒に行こうと思って用意した。受け取ってもらわないと困る」 え? 「今日は、その、ホワイトデーだろう? ……先月のお返しだ」 それでアミューズメントパークと水族館のフリーパスを? わ、いいの? すっごくうれしい! 前からここに来てみたかったの! 子供のようにはしゃぐ私を、彼はうれしそうに見ていた。 もちろんというかやっぱりというか、ハイテンションな私は、彼のそんな表情に気づかなかったのだけど。 水族館はさっきのバスと同じで、平日だからかお客さんは少なかった。 そのおかげで、ゆっくりと水槽を見て回ることができた。 イルカショーも、平日は休日よりも開催回数が少なくなっているにもかかわらず、タイミングよく見ることができた。 せっかくのフリーパスだからアミューズメントパークにも行こう、と、断られることを覚悟で彼を誘ってみた。 すると、予想を裏切って、彼は快諾してくれて。 もうちょっと渋るかと思ってたから、この返事には、申し訳ないけれど驚いてしまった。 でも、快諾してくれたんだもの、しっかりと楽しもう。 日が傾き始めてからの入園だっだから、そんなに数は乗れなかったけど、チェックしてた人気のアトラクションとパレードはしっかりと満喫した。 いつかは行くと思って、リサーチしてた甲斐があったというものだ。 空はすっかり暗くなって、そろそろ閉園時間が近づいてきた頃、最後のアトラクションとして観覧車に乗ることにした。 ゆっくりと上昇するゴンドラに向かい合わせに座る。 外には、海沿いを走る車のライトとテールランプの灯り、海に反射する橋の灯りがキラキラと輝いていた。 お互いに外を眺めているだけの静かな空間。 だけどそれは、不思議と心地良かった。 「……今日、君は楽しんでくれただろうか?」 ふいに言われた言葉に視線を向けると、月森くんは不安げな表情で私を見つめていた。 そんな彼に、にっこりと微笑む。 すっごく楽しかったよ! 半日でこんなにいろいろと回れるとは思わなかったし、最後にきれいな夜景まで見ることできて本当にうれしい。 最高のプレゼントだよ。ありがとね、月森くん。 「よかった」 ほっとした表情を浮かべた月森くんは、ジャケットのポケットからラッピングされた箱を取り出し、私に差し出した。 驚いて彼を見ると、はにかんだ笑顔のままゆっくりとうなずいた。 その箱を受け取ってあ開けてみると、イルカのマスコットが付いた携帯ストラップが入っていた。 再び彼に顔を向けると、月森くんは、この箱が入っていたポケットから携帯電話を取り出した。 そこには、今もらったものと同じイルカのマスコット付きストラップが付いていた。 これって……? 「今日の記念とバレンタインデーのお礼だ。その……美味しかった。ありがとう」 えっ……と。 可愛いストラップだね、ありがとう。 でも、私も付けていいの? 私が付けちゃうと、月森くんとおそろいになっちゃうよ? それで、月森くんがいろいろと言われなければいいけれど……と、余計なお世話な心配をしたけれど、それは杞憂で。 月森くんは少し頬をピンク色に染めて、でもしっかりと私を見つめて、静かに話した。 「むしろ、それで君に声を掛ける人間が俺だけになればいい」 予想もしない言葉に、月森くんを見つめたまま、固まってしまった。 うわ……。どうしよう、すごく、うれしい……。 私もたぶん、今の月森くんよりも、顔が真っ赤になってるんじゃないかな? 結局、ふたりとも照れて無言になっちゃって、気がつくと、観覧車はすでに地上へと到着していた。 観覧車から降りるとき、月森くんから差し出された手に、自然と自分の手を置いた。 閉園を告げるアナウンスの中、重なり合った手はそのまましっかりと握られ、私たちはゆっくりと出口へと歩んだ。 帰りのバスの車中、隣り合わせた座席に寄り添いながら座る。 重なり合った手はそのままに、しっかりとお互いの存在を確かめるように結ばれている。 また、一緒に遊びに来ようね……蓮くん。 消え入りそうな声でつぶやくように初めて呼んだ彼の名前は、消えることなく彼の耳に届いたようで。 目を細めてきれいな笑顔で微笑む彼は、そのまま顔を私の耳元へ近づけ、静かにささやいた。 「ああ、きっとまた来よう。が望むだけ、一緒に」 普段の彼から想像もつかない掠れた甘い声は、いつまでも私の耳に残って。 恥ずかしくてうつむいてしまった私の横から、くすっと笑うような音が聴こえた。 その笑い方が彼らしくなくて、ゆっくりと顔を上げて彼を見た瞬間。 彼の唇が、私の額に触れた。 彼の行動にまた驚くと、今度は笑みをかたどった唇が ゆっくりと ゆっくりと 優しく羽のように、私の唇に、舞い降りてきた。 |