私は今、ピアノを背にして座っている。 蓋が開かれた、アップライトピアノ。 譜面台には、伴奏用の楽譜。 そして、目の前に広がるのは、 私の両側から伸ばした手で不快な和音を鳴らしている、 やたら体格のいい、同級生のピアノマンの、 険しい、顔。 どうして、こんな状況に? dissonanceの憂鬱 最初の印象は、たぶん、ゲームの冬海ちゃんと同じだと思う。 180cm近くの長身と、大きな身体。鋭い目付き。近寄りがたい空気。 私が見てた彼は二次元の彼だから、それまでの彼と、生身の彼の印象が異なるのは否めないけれど。 そうだとしても。 今までそういう目を向けられたことのない人間からすれば、正直、 ……怖かった。 ******************************************** 声を掛けたとき、思ったことは「しまった」だった。 ちょうど建物の一角で、声を掛けた人物しか見えなかったとはいえ、対面に人がいたのだから。 でも、対面の人はもとより、声を掛けた人物も私に気づいていないようで、話を終える気配も、こちらを振り返る素振りもない。 幸いにも気づいていないようなら、このまま回れ右して立ち去れるな、と楽天的に考えて後ずさった瞬間。 ふい、と横を向いた顔とバッチリ目が合ってしまった。 二度目の「しまった」は逃れられず、後ずさった格好のまま、苦笑い。 ホントに私、タイミング悪いなぁ。 そんな運の悪さを痛感していると、何やら声がしたと同時に、視線を向けた人物に手招きされた。 へ? 向かいにいる人との話が済んだのかな?、と、何の警戒心も持たずに近寄ると。 そこには。 ******************************************** 「ボランティアの代理伴奏者?」 異世界から召喚されし私・は、建物の一角で話していた人物・日野香穂子ちゃんの話に疑問系で返した。 なんでも、週末に音楽科のOB・王崎信武さんに誘われ、同科の後輩・冬海笙子ちゃんとともに参加するボランティアで、伴奏をしてくれる人を探しているらしい。 そのボランティアで伴奏する予定でいた演奏者は、当日に考課試験を受けることになり、参加できなくなったというのだ。 しかし、今日は週の真ん中・水曜日の昼休み。当日まであと2日半しか時間が無い。 この2日半で日野ちゃん・冬海ちゃんの2人の伴奏を演奏できることが条件であるため、なかなか適材が見つからずに困っているのだという。 その話を聞き、日野ちゃんの向かい側に、同じ普通科の同級生でコンクール参加者・土浦梁太郎くんの姿があることに合点がいった。 日野ちゃんはまず、土浦くんにこの話をしようとここに呼び出したのだろう。 そこに、自身の伴奏者である私が現れた。 探していたピアノ奏者候補が2人も現れ、日野ちゃんにとっては願ったり叶ったりの状況となったわけだ……。 「おい日野。その役目、別にや俺たちじゃなきゃだめ、ってことはないだろう?」 日野ちゃんからの申し出を受け、土浦くんはひどく不機嫌そうな顔で返した。 面倒ごとには関わりたくないんだろう。眉間のしわがそれを物語っている。 それはそうだけど……と、いつもの日野ちゃんらしくない言いよどんだ返答に、土浦くんは組んでいた腕を外した。 私もいつもの彼女らしくない反応に首を傾げたけど、なんとなく、その理由が見えてきた。 「……確かに、土浦くんや私なら、日野ちゃんと冬海ちゃんとも顔見知りだし、何回か合わせたこともあるから、いろいろと都合がいいもんね」 そうなの、と、日野ちゃんは申し訳なさそうにうつむいた。 「何しろ時間が無いから、他に頼める人がいなくて。だから、できれば土浦くんとちゃんに、冬海ちゃんと私の伴奏をそれぞれ担当してほしいと思っているの」 「何でそこに俺が出てくるんだよ」 「だって! 土浦くん、たまに私の伴奏してくれることあるし、譜面だって、一度見ただけでスラスラ〜っと演奏しちゃったりできるでしょ?」 だから、ね?、と、これもまたらしくない「お願い♪」という首をちょこんと傾げたポーズで、土浦くんと私を交互に見る日野ちゃん。 ……土浦くんと顔を見合わせ、苦笑いとともにため息をついたのは、言うまでもない。 「仕方ねぇな。諦めようぜ、。どうせ、日野のことだ、断っても承諾するまでしつこく付きまとう気なんだろうし」 「ちょっと! それってひどい言い方じゃない?」 「本当のことだろ? 今度から『すっぽんの日野』って呼ぶか?」 「土浦くん!」 腕を振り上げて叩くフリをする日野ちゃんを、面白そうにからかう土浦くん。 普段は仏頂面で強面の彼も、日野ちゃんと話すときには笑顔を見せることが多い。 『日野ちゃんと一緒』であること限定、だけど。 ……少し、うらやましいな、と思ったのは、私だけの、秘密。 ******************************************** 「う〜。やっぱり、相当弾き込まないといけないなぁ……」 放課後の練習室。 居残り練習をしていた私は、大きな大きなため息をついた。 とりあえず合わせてみようか、という日野ちゃんの鶴の一声で、彼女の名前で予約していた練習室に土浦くんと冬海ちゃん、そして私の4人が集結した。 演奏曲は全部で5曲。 日野ちゃんと王崎先輩のヴァイオリンデュオ、日野ちゃんのヴァイオリンソロ、冬海ちゃんのクラリネットソロがそれぞれ1曲ずつ。 ヴァイオリン2本とクラリネット、ピアノのカルテットが2曲。 組み合わせは、冬海ちゃんが慣れていて相性がよい、ということから、私が伴奏をすることに決まった。 必然的に、日野ちゃんの伴奏は土浦くんが担当することになって。 カルテット曲は、とりあえず土浦くんと私で1曲ずつ、ということになった。 ここでも、少し……って、私の心の動きは、この際目をつぶっておく。 いくら何でも初見でいきなり合わせることはできないので、最初の数分を土浦くんと私の譜読みと簡単な練習時間に使わせてもらって、その後にそれぞれのペアで簡単に会わせてみることにしたんだけど。 「……すごいです、先輩方。息がぴったりです」 うっとりした口調でパチパチと拍手する冬海ちゃんに、慌てて私も拍手を送った。 日野ちゃんが囁くようにヴァイオリンを歌わせると、それに土浦くんのピアノが囁き返す。 逆に、日野ちゃんが高らかにヴァイオリンを奏でると、土浦くんは主張せず引っ込まず、ヴァイオリンに寄り添うようにその音を引き出す。 初めて合わせる曲とは思えないくらい、日野ちゃんと土浦くんの演奏は息が合っていた。 ……否、合い過ぎていた。 そんな演奏を聴いちゃったもんだから、意識せずに弾くなという方が無理なことで。 冬海ちゃんと合わせた私の音はあまりにも酷いもので、3人から言葉を奪ったほどだった。 珍しく、日野ちゃんの後に練習室の予約者が居なかったので、予約ノートに私の名前を書き、そのまま居残り練習をすることにした。 3人ともすっごく心配してくれて、練習に付き合うと申し出てくれたんだけど、私はそれを、ありがたく思いつつも辞退させてもらった。 今の私には、彼らと一緒に居ることが。 『彼女と彼が』一緒に居るところを見ることが。 とても、酷なことだった。 |