誰もいない森の広場。
しとしと、さわさわ、ぴちゃん、
耳に届くのは、雨が奏でる自然のオーケストラ。
側には、大好きな人の静かな寝息。
そんな時間を過ごせる私は、実はとても、贅沢かもしれない。




雨の日の過ごし方




それは、久しぶりに梅雨の晴れ間が訪れた日の放課後。
雨が降っていなくてもジメジメしているのは地域柄否めないけど、やっぱりお日様が出てるのは気分的に晴れやかになるよね。
でも、湿気は楽器の天敵。お手入れは念入りにしとかないとね……って、あれ?


通常の授業終了後、楽器室でのチェロのメンテナンスを済ませ、普通科の仲間へ先に帰る旨を伝えた帰り道。
普通科棟の窓からふと視線を向けた森の広場で、生い茂る森の緑の中から時折ふよふよと見え隠れするハチミツ色。


まさか……。


これは予感か確信か。
帰路へ向かう私の足は180度方向転換。
自然と森の広場へ向かっていた。



やっぱり……。


緑の中のハチミツ色は、予感どおりに彼のふわふわの髪の毛だった。
野外である森の広場で、昨日まで降った雨の名残がないところ―東谷の一角―。
そこにある表面が乾いたベンチに座って、こっくりこっくり舟を漕いでいる。
心地よい雨を含んだ涼しい風が、ふわふわの髪の毛を優しく揺らしている。
よくこんな過ごしやすい場所を見つけたわね……なんて感心している場合じゃない。
いくらお日様が顔を出しているとはいえ、いつ変わるか分からない梅雨の天候。
このまま放って置くわけにはいかない。


……って、放って置けないのは私の性分よね。


苦笑しても事態は変わるはずもなく。
無駄だとは分かっているけど、とりあえず彼を起こしにかかる。


志水くん? こんなトコで寝ちゃ雨に濡れるよ? 志水く〜ん?


耳元で名前を呼んでも、肩を叩いても、揺すってみても、何の反応もありゃしない。
ホントに寝起きが悪いお子様だ。
ため息ついてもやっぱり事態は変わるはずもなく。

どうやってこのお子様を起こそうか思案しているところに、ぽつん、と水滴が落ちてきた。

まさか……と思ったときにはすでに遅し、空からはいくつもの雫が降り始めていた。


わ! 降ってきちゃった!


慌てて彼をさらに揺さぶる。
いくら東谷の中でここが濡れないからって、雨が吹き込んできたらアウトだし、まして雨足が強くなったら、
下手すると家に帰れなくなる可能性だってある。

いろいろなマイナスの可能性ばかり頭に浮かぶ中、やっと彼が、重たい瞼を開けてくれた。


……先輩?


口調は相変わらずゆっくりで、でも、寝起きだからか、いつもよりさらにゆっくり度が増しているような気がする。
起きてもゆらゆらしている彼に、「そうだよ」とうなづいて、雨が降って来たから室内に入るよう促す。
さすがの彼も、雨に濡れてしまう危険性がある場所で引き続き寝ようなんて、そんな気は起こらないだろう。

……と、思っていたのだけど。

ぽやんとしたまま彼は空を見上げ、雨、と音に出さずに呟いた。
そして、


……いろんな雨の音がしますね。
まるで、オーケストラみたいです。
天が奏でるオーケストラ。
素敵ですね。


そう言って、ほわんと笑う彼。

気がつくと……再び眠りの国の王子になった彼の頭は、隣に座っていた私の膝の上に落ちてきた。


…………。


またやっちゃった。
もう何度目だろう、このやぶへびな展開は。
いつもぽやんとして表情を変えない彼。
ふいに見せる笑顔は、ホントに天使のようで。
雨露に濡れる紫陽花のように輝いていて。
ついつい見惚れてしまうのは……彼に惚れた私の弱味で。


そして、また、彼の隣。


誰もいない森の広場。
耳に届くのは、雨が奏でる自然のオーケストラ。
膝には、大好きな人の温かな温もり。



そんな贅沢な時間を、私は、今日も、過ごしている。